大人気観光地「熱海」で巡る、熱海七湯と湯の歴史に触れる街中さんぽ
熱海温泉は、古くから多くの人々に親しまれてきた日本有数の温泉地です。その中でも、「熱海七湯(あたみななゆ)」と呼ばれる七つの源泉は、熱海の温泉文化と歴史を象徴する存在として知られています。現在では、これらの源泉はモニュメントとして整備され、街歩きの中でその歴史と情緒を感じることができます。七湯はすべて街中に存在し、徒歩で巡ることができます。今回は、熱海駅から七湯を巡りながら起雲閣を目指す散策ルートをご紹介します。

熱海駅から大人気商店街を抜けて最初の七湯「野中の湯(のなかのゆ)」へ

まずは熱海駅を出発し、話題のスイーツなどの食べ歩きグルメが集まる「平和通り商店街」へ向かいます。
平和通り商店街では、SNSやテレビで話題の映える最新スイーツから、温泉まんじゅうなどの食べ歩きグルメが楽しめます。少し脇道に入ると、レトロな写真が撮れる場所もあるので、探してみてください。
「野中の湯」~「清左衛門の湯(せいざえもんのゆ)」
①野中の湯(のなかのゆ)

商店街を抜けて徒歩15分ほど歩いた場所にある最初の七湯が「野中の湯」です。咲見町の中銀ライフケア熱海咲見の入口付近に位置するこの湯は、野中山のふもとにあり、泥の中から湯がブクブクと湧き出していたと伝えられています。湧き出る箇所が浅かったため、入浴にはあまり利用されなかったようです。
②清左衛門の湯(せいざえもんのゆ)

野中の湯から徒歩5分ほど歩くとあるのが「清左衛門の湯」です。古屋旅館の前に位置し、古屋旅館のみが使用している貴重な源泉です。その昔、農民の清左衛門が馬で走行中に湯壺に落ちて命を落としたことから名付けられました。「清左衛門ぬるし」と大声で呼ぶと湯が勢いよく湧き、小声で呼ぶと静かに湧くという伝承があります。
熱海の街中で温泉卵!?「小沢の湯」~日本を代表する間欠泉「大湯間欠泉(おおゆかんけつせん」
③小沢の湯(こさわのゆ)

清左衛門の湯から徒歩2分ほど歩いた場所にあるのが「小沢の湯」です。銀座町の天神酒店前にあるこの湯は、かつて沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を称して「平左衛門の湯(へいざいもんのゆ)」とも呼ばれていました。
ここでは温泉の高温の蒸気を利用して温泉卵を作ることができ、連日卵を持った地元の方や観光客に親しまれています。さらに、「丹那湧水」が飲める飲水所も設置されており、温泉だけでなく大地の恵みも堪能できるスポットです。
④ 風呂の湯・水の湯(ふろのゆ・みずのゆ)

小沢の湯から歩いて3分。咲見町の元福島屋旅館の西側にある「風呂の湯」は、外傷に良いとされ、湯気で饅頭を蒸したり酒を温めたりして販売されていました。そのすぐ近くにある「水の湯」は、塩分が少なく淡白無味で、常水を温めたような湯であったことから名付けられました。
⑤大湯間歇泉(おおゆかんけつせん)

日本を代表する間欠泉であり、かつては昼夜6回にわたって規則的に噴出し、熱海温泉の代表的な源泉でした。
明治期の熱海では、この大湯を中心に旅館街の形成が行われ、大湯の源泉は限られた人しか使用できない大変貴重なものでした。明治21年に建設された熱海御用邸にもこの大湯の源泉が直接引かれました。
さらに時をさかのぼれば、江戸城の将軍に熱海の温泉を献上する「御汲湯(おくみゆ)」の場所でもありました。江戸時代の将軍、徳川家康が熱海温泉に7日間逗留し、その効能を気に入ったことに端を発し、以降は将軍御用達の湯として江戸城まで温泉が樽詰めされ、なんと人の手によって担がれて運ばれていたのです。8代将軍吉宗の時代には、1726年(享保11年)からの9年間で3643樽が運ばれたという記録も残されています。
現在は自然噴出ではありませんが、整備されて人工的に5分間隔で噴出し、観光名所として多くの人々に親しまれています。
熱海温泉を守る「湯前神社(ゆぜんじんじゃ)」

大湯間歇泉の目の前にあるのが湯前神社です。温泉の神様「少彦名命(すくなびこなのみこと)」を祀り、熱海温泉を守る神として崇められています。

神社の境内にある斎垣(いがき)には、熱海の旅館などの名前がたくさん並んでいます。もしかすると、あなたが泊まった宿の名前があるかも? 探してみるのも面白いですね。
大人気商店街銀座通り商店街の中にある「佐治郎の湯」~かつて唯一村民が入れた湯「河原湯」
⑥ 佐治郎の湯(さじろうのゆ)/目の湯(めのゆ)

多くの観光客で賑わう銀座通り商店街の中、スルガ銀行と静岡中央銀行の間にあるのがこの湯です。塩分が少なく真湯に近いことから、やけどや眼病に効くとされ、「目の湯」とも呼ばれています。
⑦ 河原湯(かわらゆ)

国道135号沿い、セブンイレブン熱海銀座町店の南方に位置するこの湯は、かつて東浜の河原にあり、村人たちが自由に利用できる唯一の源泉でした。現代で言えば、銭湯のような存在です。浴室の屋根が瓦葺だったことから「瓦湯」とも呼ばれていました。
他の源泉は村人たちが自由に使えなかったの? という疑問も湧きますが、当時はほとんどの源泉が限られた人々しか使用できなかったのです。それくらい、温泉というものが貴重なものであったことが伺えます。
話題のスイーツや海鮮丼も!銀座通り商店街

河原湯の近く、佐治郎の湯が位置する「銀座通り商店街」は、連日多くの観光客で賑わう人気観光スポットです。海にも近く、話題のスイーツや海鮮丼の店が立ち並び、熱海を訪れるならぜひ立ち寄りたい場所のひとつです。湯巡りの合間に海鮮丼やスイーツを食べ歩きするのも旅の楽しみです。
熱海の歴史変遷に触れる「起雲閣(きうんかく)」へ

散策の最後は、熱海三大別荘と呼ばれ、唯一現存する名邸「起雲閣」へ。ここまで七湯を紹介してきましたが、熱海の歴史は温泉とともに発展してきたと言っても過言ではありません。この1919年(大正8年)に建てられた起雲閣も、三代の所有者によってその歴史を歩んできました。

初代所有者の内田信也(うちだのぶや)氏は、海運業で財を成し、母の静養のための別荘として起雲閣を築きました。二代目の根津嘉一郎(ねずかいちろう)氏は、現在の東武鉄道の創業者であり、自らの別荘として日本庭園の整備や洋館の増築を行いました。三代目の桜井兵五郎(さくらいひょうごろう)氏は、金沢の湯涌温泉で東洋一の旅館を経営していた人物で、現在の起雲閣を旅館として運営し、太宰治や三島由紀夫など多くの文化人に愛された宿でもあります。

現在は、広大な庭園に日本の伝統的な和室建築や写真映えするレトロな洋館が残る熱海の観光スポットとして、幅広い年齢層の方が訪れています。人気観光地であると同時に、温泉という貴重な資源とともに発展してきた熱海の歴史を体感できる場所でもあります。
いかがでしたでしょうか。スイーツや昭和レトロな観光地として脚光を浴びる熱海ですが、その背景には「湯」を通じて築かれてきた長い歴史があります。七湯を巡りながら、その歴史を感じ、街を歩く旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。