庭園を散策する
熱海三大別荘の中で唯一現存する起雲閣。1919年の竣工以来、三人の富豪に愛され、当時の贅がそのまま今日に息づいています。
緑豊かな庭園もそのひとつ。東武鉄道グループの創業者で「鉄道王」と呼ばれた二代目当主・根津嘉一郎氏は、1925年に別荘を買い取ると、約1万平方メートルにも及ぶ広大な庭園の造成に着手しました。茶人でもあった根津氏は庭への思いが深く、プロに任せきりにせず、自ら足掛け5年をかけて理想の庭をつくりあげました。
建造時の起雲閣と庭 ©清水建設株式会社所蔵
庭石へのこだわりは特に強く、根津氏は伊豆周辺の山々を歩いて気に入った石を自ら探し求めました。多賀の山から70〜80個、和田山から50〜60個、真鶴の岩からも70〜80個が運ばれたと伝えられています。
伊豆の石は風化しにくく耐火性にも優れているため、江戸城の石垣にも多く使われた名石です。石を割る際は「石の目」にくさびを打ち込みますが、割りかけの途中の石までも運ばせており、庭にはそうした石も見ることができます。
中でも象徴的なのが、20トンを超える巨石「根津の大石」です。これは熱海梅園付近から十数人の庭師が2か月以上かけて運んだといわれ、作業の大変さは当時の文壇にも話題を呼びました。
文豪・坪内逍遥は1927(昭和2)年の日記にこの石のことを記し、「根津別邸の石が100万貫」と書き残しています。100万貫は約30トンに相当し、実際の20トンより“盛って”書かれていますが、それほど巨大に見えたのでしょう。さらに、この石が逍遥の自宅・双柿舎の前を通ったことから、彼はその日の記録に「道いっぱいの迷惑」と書き残しています。
また別の日、庭に置く石を現在の国道135号線を使って運ばせた際には、大渋滞を引き起こしてしまい、担当の植木職人が始末書を書かされる騒ぎになったとも伝わります。お金持ちの“石好き”も時に困りものですが、その情熱こそが現在の起雲閣の庭を形づくりました。
根津の大石
戦後、起雲閣は別荘から旅館へと姿を変え、庭園も時代とともに変化していきました。しかし、庭園中央の清流のほとりに鎮座する「根津の大石(守護石)」は今も変わらぬ姿で訪れる人々を迎えています。重厚な存在感は、根津嘉一郎の情熱と美意識を象徴する、まさに庭の“心”ともいえる石です。
起雲閣と庭園
庭から眺める建物もまた、起雲閣の大きな魅力です。和館は火災予防のため高価な銅板で葺かれ、洋館は釉をかけた陶瓦で葺かれています。特に陶瓦は天候によって表情を変え、晴れ・曇り・雨などで屋根の色彩が異なるのも見どころのひとつです。
庭は雨の日でも水が溜まらないよう絶妙な傾斜が施され、五重塔や雪見灯籠など多彩な石灯籠も点在しています。歩くたびに景色が変わり、季節や光によって庭の“新しい顔”が現れます。
起雲閣の桜 3月下旬撮影
春は桜、秋は紅葉と、四季折々の美しさを楽しめる起雲閣の庭。まち中では味わえない豊かな緑に包まれ、ゆったりとした時間をお過ごしください。